08月辺りからの悩み事がぐんぐんと悪化してます。相手を問わず、どうも会話のリズムがつかめません。
25日に任意保険手続き・車両受け渡し(旧セローをお店に預けて、新セローで帰宅)、26日に旧セローが欲しいと言っておられた方がお店に来られて、受け渡し。
という内容をじっくり書くスキもないまま、27、28日と完全にノビていました。連日「起きられない…全くもって起きられない…」「目が覚めたらなんでこんなに時計が進んでる、のだ」を繰り返しているのですが、何と言いますか、ヒトとして最低限の体力すら出なくなっているような勢いで、起床がひと仕事になっています。
すごくよろしくない状態になっているようです。
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◆ここ数日、ようやくハハが「安易にエサを与えない」よう心がけてくれるようになってきたのですが、困ったことに悪化しまくりなので、コンビニに入るだけで汗がゴーゴー出ます。何かしら強い覚悟を決めないと外に散歩にすら行けません。悪化しすぎにもホドがあるぞ状態。
そういったことを乗り越えて、「日々、メシを得るために外に出る」べきものなのですが、その裏で義務感(?)から解放されたハハが「私の夕食は納豆1パック。以上」みたいなことを始めました。うーん。この人は、昔から「自分だけのメシをどうにかすればいいとき」はありえない勢いで少食になる傾向がありましたな。メシを用意せにゃならん家族がいるということで、釣られて自分も今よりは多めの量(といっても1000kcal/dayなさそう。やっぱり少なすぎ)を食べるようにしてたのでしょう。
何年も前の一時期そうだったように、私が食材を調達して、マゴマゴと料理をして、ハハの分も「作った。食え」という形まで持って行かないといけないのかな…今の私にはどえらくレベルの高い話に思えます。
どうしたもんだか。
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◆気になりだした時期はまちまちだけど、以下、ここんとこ、妙に気になっているキーワードたち。興味をひくのがあったら…「リンクに最適だと思わるるサイト」を探す気力もアヤしいので、ぐーぐる検索結果上位辺りからあちこちのサイトを覗いてみてください。
- ◆軍艦アパート(市営南日東住宅、市営北日東住宅、市営下寺住宅)
日本橋電器街の「すぐ裏手」という絶妙な位置に存在する(した)異空間。はじめて迷い込んだのは「軍艦アパート」という呼称も知らなかったとき。本当に「なんとなく迷い込んだ。急に空気が違う空間が現れた」ことに驚きました。重たい銀塩MF一眼レフをかついでうろついていたときに、たまたま迷い込んでしまったのです。
表通りの堺筋から、「裏通りに穴場的なPC屋があるんじゃねぇか?」「裏手の路地入ったらウマいメシ屋があるのでは?」ぐらいの安直さでたどり着けるような、ほんのすぐの距離のところに、何の目印も結界もなくたたずんでいる、住民の皆さんにとって「当たり前の自分たちの家・集落」。
発掘してみると、当時(確認してみると1998年05月)のコマがチラホラ見つかりました。これは…南日東住宅かな?まだ真面目に写真に取り組もうとしていた頃ですが、住宅内に入れてもらって撮ったりもせず、建物にぐいーんと寄って撮ったりもせず、ただただ引いた位置から主に「路地の空気感」を撮っていたので、インターネッツで公開されている他サイトの写真のように「雄弁に物語る」ようなコマは見当たらない。
で、29日付夕刊に「下寺住宅解体決定」の記事が出ていました。南日東、北日東は既に解体済み。たくさんたくさんの、ココにしかない光景/ココにしか流れていない空気が心に響きまくるところだったのですが、私が写真を撮ったあの場所はもうないのですね。ふにゃん…。
たった15コマしかないけど、カメラ屋さんへ持って行ってデジタル化しようかと考え中。って、カメラ屋さん自体に2年ぐらい行ってない気がする…。
近々解体さるるらしき下寺住宅のほうも、もう少し元気になったらカメラ片手に行ってみようかな…。場所はこの辺(Mapion)。
- ◆背戸口公園
一時期、週に何度も見ていたはずの公園。これ自体は今でもある。周囲の様子もそんなには変わってなさそう。
というか、いっつもいっつも横から見ていたはずなのに全然気づいてなかったのですが、ここ、廃線になった南海平野線というチンチン電車の「西平野駅」跡だったのですね。隣接する道路が不思議なカーブになってたりするなぁとは思ってたのですが、そういういきさつでしたか。
- ◆南海平野線(廃)・平野駅跡(サイト内の関連記述へ)
西平野駅の次が終点平野駅だったみたい。
土地の「いきさつ」を伝えつつ公園として整備されているようです。写真を見ると、何気ない児童公園を装いつつどっぷり感傷に浸ることもできるツクリになっているように感じます。あまり通らない地域なので、あの辺が南海平野線の終点だったことは知らなかった。
コドモ当時の私にとって、この辺は生活圏外だったのですが、そういえば、祖母はバスでよくこの近辺へ行って医療施設やら何やらを利用していたような記憶がある。たぶん、祖母はかつて(バスで行かなきゃならんとはいえ)最寄の「駅」として利用してて、その名残でこの近辺の施設に行き慣れてたんだろうな。
- ◆阪和貨物線(サイト内の関連記述へ)
小学生のときは、毎日いろんなタイプの車両をつないだ長〜い貨物列車がテテンテテン、テテンテテンと音を立てて走っていた路線。当たり前に貨物列車が走っていた路線。コドモの頃は「そういえば旅客列車見かけないよな」なんて思うはずもなく、この線路のどっちかに「駅」があって、そこから乗り降りできる、自分の家から一番近い鉄道路線だと思っていました。
(路線両端は、いちおうJR大和路線・久宝寺駅〜(阪和貨物線)〜JR阪和線・杉本町駅と、駅につながってはいる。でも、貨物列車しか通らず途中に駅もない路線が「一番近くの旅客路線」ではないことは、年を重ねてからわかった)
気がついたら「テテンテテン、テテンテテン」の音を聞く頻度がぐぐんと減って、この路線にかかってる踏切で待ちを食らうということもほとんどなくなってしまい…。それでも、早朝に踏切を超えようとすると警報が鳴り出したりして、いつもそれなりには何か運行されてた模様。
そんな時期に珍しく踏切でつかまって、踏切が上がるのを待っていたら、貨物列車でなく和歌山方面への修学旅行だか何だかの団体列車(ここで見ることはないと思ってたヒト満載列車)が目の前を通過してたまげたこともあったものです。
それからまた日が経って。そういえば「テテンテテン」を全くもって聞かなくなったなぁなんて思ってしばらくしてから、この路線が「休線」という扱いになっていることを知ったのでした。現在はこの路線の踏切部分全て(たぶん)で左右の線路が金網封鎖されています。「廃線」ではないのでいずれ復活する…らしいけど…どうなるんだろう?
ここに挙げたものには、何かしら通ずるものがあると思うのですが、なんでこーいう物件に関心が向いているんだろう?
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◆困ったことに「たんじょうび」とかいう日らしい。
世間の同じ年頃の人は、こんなにダメダメなコドモなはずもなく、もっとしっかりしてて、もっとがんばって生きているのです。
人間がどんどんダメになっていってるのに、それなのに、年齢はやっぱり加算されてしまうわけで、世間では年を経るごとにダメ人間度が低下していくはずなわけで、もう、ため息が止まらない。




