05月アタマだか04月末だかの出来事。見覚えのない携帯番号から着信。もしもし。
「あ、もしもし。俺。お前、わからんのか!俺や、**や」
あー、何年ぶりだろう。というか、いきなり怒られてる。
「お前、元気そうやのう。声が。いや、声聞いただけでも元気そうやんけ…ホンマにええのう、元気そうな声してホンマ…フンッ!」
えーと。何かしら不機嫌なことだけはわかりました。
「元気にしとるんけ?いや、聞かんでも声が元気そうやもんなー。ええのう。俺なんか、なぁ。もう、なぁ。なんでお前そんな元気そうな声しとんねん!」
どうしよう。
「話変わるけどな。高速(道路)あるやろ、高速(道路)。あれ、何ccのバイクから乗れるか知っとんかいよ。え?126?ハァ?いや、何ccから高速乗れるんやて聞いとんねん。126て何や。あ?125のバイクではあかん?そやから、何べん言わすねん、何ccから乗れるんよ。126とかワケわからんこと言うなや。126て、んなバイクあるんけ?ないんか。ないもん言うなやー。そやなしにな、250とか400とかあるやんけ。あの何ccから乗れるんやて聞いとんねん、はよ言えや。250ccは乗れる?150ccも乗れる?150てそんなんあるか?ん?スクーターであるんかい。おーおーおー、最近原付より一回りか二回りデカいスクーター走っとんのう。あれかい。あれで150てあるんけ。ほうか」
そう言えばこの人、普通免許は持ってるけど二輪免許はないはずなんですよね。二輪に乗らない人は、その辺よく知らなくても仕方ないです。でも、そういう次元じゃないよな、この話は、と思うのです。
「で、いくらすんねん、その150ccのスクーターて。いや、いくらや言うとるやろ。知らんのんけ?わからん?わからんて何がやねん。いくらするかぐらい知っとけや。知らんねんやったら調べて。いま調べて教えろ、な。ハァ?わからん?わからんやないやろ、値段聞いとんねん。いくらあったら乗れんの?なぁ、はよ調べろや。今はわからん?ほな調べとけや。調べとけよ、また電話するから。(ブツッ)…つー、つー、つー」
えーと。何が起きたのかよくわからないけど、どうしよう。まずは電話帳登録、そして着信拒否。相手にとって悪意など全くないことはつくづくとわかっているのですが。
向こうが知りたいのは「いくらで乗れるか」なんですよね。日頃、全く興味を持っていない車種の車両本体価格をカタログで調べて、それだけ知らせても逆に誤解を招くだけだし、相手の地元での値引き相場・登録諸費用・強賠・任意保険なんてわかるはずもないし(たぶん免許もないし)。結局、知らんとかわからんとしか答えられない。
世の中には諸事情で「うまく生きられない」人というのがいるわけで、この人の場合も話の雰囲気・言葉の端々から、しばらく入院してて先日退院したばかりらしきことが伝わって来ていました。
そういう人は数少ない人脈に過剰に頼ってしまいがちになるのですよね。過剰に頼らないようにするためには人脈広げりゃいいんですけど、人脈のほうが逃げて行ったりするので、なかなかうまく行かないもんです。当人には悪意がないのに周りにとっては迷惑な人だったり、手間のかかる人だったり。書きながら「自分自身が思い当たるフシだらけだな」と感じてたりします。
この相手の人は離れたところに住んでるのですが、たかが電話でグダグダと話すだけで相手の何かが緩和するのはわかるんですよ。私が着信拒否なんかせずにクダを巻いてもらって聞き役に徹すれば、何かが緩和するのです。
問題は「聞き役になってクダを巻いてもらう」には余力が必要だというところで、こっちはこっちで聞き役になれるほどの余力がないのですよね。自分自身が誰かにウダ話を聞いてもらって何かを希釈してもらわにゃいかん状態だったり、その「誰か」が特定少数の人に集中しちゃいかんよなというところで頭を抱えてたりで、聞き役になるどころではないのです。残念なことに。
そんなわけで、少しの罪悪感を覚えつつ、日に5〜10回ほど残る不在着信の影に怯えています。